パフェの由来はフランスのデザート・パルフェ。日本で生まれて進化!

パフェの由来は、フランスのデザート「parfait(パルフェ)」です。

ご覧の通りフランス料理のパルフェは、日本のものとは似ても似つかぬもの。

実はパフェ、日本で独自に発達したデザートだったのです。

ではフランスのパルフェが、一体どの様にパフェへと変わっていったのか?

この記事ではそんなパフェの由来や歴史について詳しく解説しています。

どうぞ最後までお読み下さい。

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パフェの由来はフランスのデザート「パルフェ」

パフェの由来は、フランスのデザート「parfait(パルフェ)」。

フランス語で「完璧」という意味を持っています。

パルフェはアイスクリームの一種です。

固くてもクリーミーなその食感は、材料配合のバランスがいい時にだけ。

このことから、「パルフェ(完璧)」の名がつきました。

フランスで最初のレシピ「Parafait au cafe」が出版されたのは1869年。

始まりはコーヒー味でしたが、徐々に他の味も生まれていきました。

フルーツソースやチョコをかけたり、果物を添えたりもします。

甘党課長
お皿に載っているし、日本のパフェとはだいぶ違う形をしておるのう。

パルフェは日本やアメリカに伝わった時に、「アイスクリームや生クリーム・果物などを盛り合わせたデザート」として認識されたようです。やがて英語読みの「パフェ」という言葉も日本に入って来ました。

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日本で生まれたパフェという食べ物

パフェの成り立ち

パルフェはもともとお皿に盛られていたアイスクリームの一種。

果物やチョコレートソースなどが添えられていました。

日本に入ってからはパルフェの意味が変化。

「アイスクリームや果物などの盛り合わせ」を指す様になりました。

記録の残る限りでは、パフェが今の様なスタイルになったのは昭和になってから。

昭和13年頃の銀座・千疋屋のメニューにも、細長い姿で登場しています。

しかしパフェを人々が気軽に食べられる様になったのは、戦後のこと。

昭和35年以降の純喫茶の流行で、パフェが全国に広がってからでした。

甘党課長
食品サンプルや乳業関係者の視察を通じて、一定の姿が確立したようじゃ。

日本のパフェは器が違う

実はアメリカに伝わったパルフェが、英語読みのパフェになったとの説もあります。

ただし欧米でパフェというと、足なしの器が主流。

そういう意味では、私達がイメージするあのパフェは日本生まれと言えます。

昔は身近になかったパフェの材料

純喫茶ブームに乗って全国で親しまれる様になったパフェ。

その姿は、シンプルだったパルフェよりもボリュームがあって華やかです。

これには、材料が手に入りやすくなったことが関係しています。

明治・大正は、アイスクリームを庶民が気軽に口にできなかった時代。

色とりどりの果物や生クリームの入手も困難でした。

これらの材料が昭和になってから少しずつ一般化。

パフェが全国に広がっていく要因の一つとなりました。

それではパフェにはどの様な歴史があったのでしょうか?

パフェの主役であるアイスクリームと一緒に解説していきます。

日本のアイスクリームとパフェの歴史

【幕末・明治】日本人とアイスクリームの出会い

日本人とアイスクリームの出会いは、1860年(万延元年)。

江戸幕府がアメリカに派遣した使節団が、初めて口にしました。

のちに団員の町田房蔵が、横浜の馬車道でアイスクリンを売り出します。

1869年(明治2年)、日本初のアイスクリーム屋の誕生です。

甘党課長
庶民にはとても手が届かない超高級な代物だったんじゃ!
やがて東京でも、1875年に麹町の村上開新堂が、1878年には銀座の函館屋と両国の米津風月堂がアイスクリームの販売を開始しています。

【明治】日本最初のパフェが登場

1893年(明治26年)に「Parfait FUJIYAMA」が登場。

これが記録に残る日本最初のパフェと言われています。

舞台は文明開化の香り漂う鹿鳴館。

「Parfait FUJIYAMA」は、天皇誕生日を祝う晩餐会メニューの一品でした。

ただしこれはフランスのパルフェの様に、お皿に盛られていたもの。

今のパフェとはだいぶ異なるスタイルでした。

甘党課長
現在もある宮中晩餐会の名物「グラス FUJIYAMA」。パルフェの製法で富士山の銅型に流し込んで作っているのだ。

【幕末・明治】の年表

年号アイスクリームとパフェの歴史主な出来事
1860年
(万延元年)
アメリカへの使節団がアイスクリームに出会う桜田門外の変
1869年
(明治2年)
日本初のアイスクリーム屋が横浜・馬車道にできる東京に遷都
1893年
(明治26年)
記録に残る日本初のパフェ「パルフェフジヤマ」登場翌年に日清戦争

【大正】初めて店でパフェを提供した横浜の不二家

1910年(明治43年)、ペコちゃんで知られる不二家の一号店が横浜の元町で開店しました。

創業者の藤井林右衛門は、1912年(大正元年)から翌年にかけてアメリカへ洋菓子の視察。

帰国後の1914年(大正3年)、喫茶店を元町店の隣に開きました。

そしてそこでパフェの提供も始めたのです。

これは同社の社史に記録があるものの、どのような姿だったのかは不明です。

甘党課長
不二家の3店舗(元町、その後に開店の伊勢崎町・銀座)は、全て関東大震災で消失。まことに残念じゃった。

【大正】工場で作り出されるアイスクリーム

この時代になって、アイスクリームの工場生産が始まります。

1920年(大正9年)とその翌年、今の「冨士森永乳業」・「明治」が生産開始。

出来上がったアイスクリームは、三越や白木屋などの百貨店で販売されました。

1923年(大正12年)には今の「雪印メグミルク」も札幌で生産を始めます。

しかしこれらのアイスクリームの値段は、まだ高いものでした。

甘党課長
この頃のアイスクリームは、バターの様に四角い形で箱入り。ハイカラな食べ物とされ、贈答用・おもてなし用に使われることも多かったんじゃよ。

 

当時、百貨店や洋食店などでは、作ったアイスクリームがその場で売られていました。しかしそれらは牛乳・卵・砂糖で作られており、シャーベットのようなもの。一方で、工場生産されたアイスクリームは乳脂肪分の高いコッテリしたもの。味や食感が大きく異なった為、当初は粗悪品だと勘違いされていたという話が伝わっています。

【大正】の年表

年号アイスクリームとパフェの歴史主な出来事
1914年
(大正3年)
横浜・元町の不二家でパフェを提供第一次世界大戦
富士食料品工業(今の冨士森永乳業)が東京・深川でアイスクリームの工場生産開始
1921年
(大正10年)
極東煉乳(今の明治)が三島でアイスクリームの工場生産を開始原敬暗殺事件
1923年
(大正12年)
自助園農場(今の雪印メグミルク)が札幌でアイスクリームの工場生産を開始関東大震災

【昭和・戦前】現在のようなパフェが登場

戦前、パフェはごく限られたお店でしか提供されていませんでした。

依然として一部の人の為の食べ物だったのです。

銀座の千疋屋は1938年(昭和13年)頃、現在のような細長いグラスを使って提供していました。またこの頃には新宿の高野も、パフェを提供。ただしどのような姿形だったかは不明です。

甘党課長
太平洋戦争の影響で、パフェに関する資料はなかなか残ってないようじゃ。

【昭和・戦前】アイスクリーム市場の拡大と生産中止

1937年(昭和12年)頃まで、アイスクリーム工場の建設が各地で相次ぎます。

これによって主要都市での製造販売が進み、需要は伸びていきました。

ところが順調だったアイスクリーム業界は、2つの戦争でどん底に落とされていきます。

1937年(昭和12年)からの日中戦争と、1941年(昭和16年)からの第二次世界大戦です。

原料の入手が次第に困難になり、1944年(昭和19年)に生産中止となりました。

【昭和・戦後】アイスクリームの普及

1945年(昭和20年)、第二次世界大戦が終わりを迎えました。

戦後すぐに雪印乳業が、GHQの委託でアイスクリームの生産を再開します。

翌年には一般用の生産再開もしましたが、ほとんどが日本に駐留する米兵向け。

原料の不足もあり、戦後数年間は一般市民の口に入りにくい状態でした。

やがて終戦から7年後の1952年(昭和27年)、雪印乳業がアイスバーの製造を開始。

その後も色々な会社が、カップ入りやモナカを次々に商品化しました。

また1960年(昭和35年)には、協同乳業が「ホームランバー」を発売。

日本初の当たりくじ付きのアイスとして、大変な人気になりました。

甘党課長
宣伝にプロ野球のスーパースター・長島茂雄を起用したのも、「ホームランバー」が大当たりした秘訣じゃ。

こうしてアイスクリームは、徐々に身近な存在となっていきました。

【昭和・戦後】パフェの普及

アイスクリームが普及した戦後は、パフェも普及した時代でした。

1960年(昭和35年)頃から、パフェが各地に普及していきます。

コーヒー生豆の輸入自由化をきっかけとして、純喫茶の流行が始まったのです。

そして純喫茶に欠かせない甘味として、パフェも全国に広がっていきました。

こうしてパフェは、広く親しまれる存在になっていったのです。

厨房用品街として有名な東京・合羽橋の食品サンプル店「サトウサンプル」では、昭和35年の段階でパフェのサンプルがあったそうです。このサンプルの存在も、一定のスタイルが全国に伝わる要因になったと言えます。

【昭和】の年表

年号アイスクリームとパフェの歴史主な出来事
1937年
(昭和12年)
この頃まで各地でアイスクリーム工場の建設が相次ぐ日中戦争開始
1938年
(昭和13年)
銀座・千疋屋が現在の様なスタイルでパフェを提供国家総動員法成立 浅間山大噴火
1944年
(昭和19年)
アイスクリームの工場生産中止初の本土空襲(北九州・八幡) 大都市から学童疎開
1945年
(昭和20年)
雪印乳業がGHQの委託でアイスクリームの生産再開第二次世界大戦が終結
1952年
(昭和27年)
雪印乳業がアイスバーの製造開始日米安全保障条約発効 鉄腕アトムの連載開始
1960年
(昭和35年)
純喫茶の流行でパフェが全国に広がり始めるカラーテレビの本放送開始
協同乳業がホームランバーを発売


パフェが日本全国に広がり始めた1960年から約60年。

私たちはファミレスからホテルまで、様々な所でパフェを楽しめます。

それぞれのお店が工夫を凝らし、そのバリエーションも豊富。

アイスクリンの製造販売を始めた町田房蔵からすれば、今は奇跡の時代です。

だってあの頃は値段が高過ぎて、一般庶民はただ眺めるだけだったんですから。。。

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