「あんみつ」と「みつ豆」の違い|「あんこ」の有無で見分けます!

「あんみつ」と「みつ豆」の違いは「あんこ」の有無です。

あんこが有れば「あんみつ」、無ければ「みつ豆」です。

この記事では「あんみつ」と「みつ豆」の違いについて詳しく解説しています。

人に話したくなる「豆」知識が満載ですので、どうぞ最後までお読み下さい!

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「あんみつ」と「みつ豆」の違い

「あんみつ」と「みつ豆」の違いは「あんこ」の有無です。

どちらも、赤えんどう豆や寒天などの具にみつをかけて食べる点が共通の、和風デザート。

そこに「あんこ」がのっているのが「あんみつ」、「あんこ」の無いものが「みつ豆」です。

この両者、あまりに「あんみつ」がメジャーなので、これをベースに「みつまめ」が誕生したと思われがち。

しかし意外にも、成り立ちとしてはその逆でした。

「みつ豆」に「あんこ」をのせたことで、「あんみつ」が誕生していたのです。

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最初に生まれたのは「みつ豆」

「みつ豆」の原型は江戸時代末期から

「あんみつ」と「みつ豆」。この2つのよく似た甘味、実は「みつ豆」が最初に生まれました。

「みつ豆」の歴史は、江戸時代末期まで遡れます。

当時、子供向けの餅菓子として「新粉(しんこ)細工」がありました。

 なつこ 
新粉細工とは、白米の粉「新粉」を水で練って蒸し、動物や鳥・花などの形を作るものですよ。

この「新粉細工」を使って作られたのが、「みつ豆」の原型です。

それは新粉で舟型の器を作り、中に赤えんどう豆を入れ、みつをかけたもの。

みつと豆が合わさった食べ物だったことから、「みつ豆」との呼び名がつきました。

そして屋台や縁日の出店などで、主に子供向けに売られていたのです。

現在の「みつ豆」は明治時代に浅草で誕生

「みつ豆」が現在の様な形になったのが明治36年(1903年)。

浅草の和菓子屋「舟和」の創業者・小林和助の考案でした。

その中身は、寒天・アンズ・ギュウヒ・赤えんどう豆に、白みつ又は黒みつです。

和助は元々寒天の卸売などをしていたことから、この組み合わせを思いついたとか。

しかもこの「みつ豆」、シャンデリアの輝くモダンな空間で、銀の器で提供されています。

これは子供向けだったみつ豆を、大人が楽しむ食べ物に変える為の工夫でした。

 なつこ 
この頃は、ハイカラなものが人気を集めた文明開化の時代。舟和の喫茶コーナーは、当時流行のミルクホールやビヤホールに倣って「みつ豆ホール」と名付けられたんですって。

この「みつ豆」は評判となり、やがて大正や昭和にかけてフルーツパーラーや喫茶店にも広まります。

「みつ豆」にあんこを加えたら「あんみつ」

あんみつは昭和5年(1930年)に誕生しました。

考案したのは銀座のお汁粉屋「若松」の二代目・森半次郎です。

これは「みつ豆」に自家製のこしあんをのせたものでした。

常連さんの「甘いものが食べたい」という要望から生まれたそうです。

 なつこ 
若松はお汁粉屋さんだったので、あんこのトッピングを思いついたのね。

「あんみつ」は「みつ豆」のバリエーションの1つ

赤えんどう豆や寒天などの具にみつをかけるのが「みつ豆」の基本形。

この「みつ豆」には様々なバリエーションがあり、「あんみつ」もその1つです。

主なものは以下の通り。これを見ればスッキリする方も多いのではないでしょうか。

トッピング名称
みつ豆
フルーツフルーツみつ豆
白玉団子白玉みつ豆
アイスクリームクリームみつ豆
白玉団子 アイスクリーム 白玉クリームみつ豆
あんこ あんみつ
あんこ フルーツフルーツあんみつ
あんこ 白玉団子白玉あんみつ
あんこ アイスクリーム クリームあんみつ
あんこ 白玉団子 アイスクリーム 白玉クリームあんみつ

この様に「みつ豆」には、トッピングの違いによる様々なバリエーションがあります。

 なつこ 
寒天と赤えんどう豆にみつをかけた「豆かん」も、みつ豆の仲間なの。浅草の甘味処「梅園」が発祥よ。

「あんみつ」と「みつ豆」の違いをひとまとめ

あんみつとみつ豆の違いをまとめると、この様になります。

みつ豆あんみつ
生まれた年明治36年(1903年)昭和5年(1930年)
発祥の店浅草の舟和銀座の若松
中身寒天・赤えんどう豆・ぎゅうひ・フルーツなどの「具」と「みつ」みつ豆 + あんこ

子供向けの駄菓子だった「みつ豆」は、明治時代に大人向けへとアレンジ。

評判を呼んだ「みつ豆」は、フルーツパーラーや喫茶店などに広まりました。

「あんみつ」も、そんな「みつ豆」のバリエーションの1つ。

どちらも今日に至るまで幅広く親しまれる存在になっています。

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